あと少しで展覧会がおわってしまう。
そう思ったら少しかなしくなった。
こんな風に思えるのはいいことだ。
遠いから、展覧会がおわったらこちらで片付けをしますよ、とオーナーさんが気遣ってくださった。そのお気持ちがうれしかったけれど、やっぱり始めと終わりは自分の手でやろうと思った。これは自分の中での約束。
という訳で最終日は会場に居ります。時間は決めていませんが、夕方には必ずおりますよ。
昨日会場で記帳を読みました。私の居ない日にもいろんな方が来てくださって言葉を残してくれていたことがとても嬉しかったです。ありがとうございます。皆さんにお会いしたかった。
今日も寒くて、ああ寒いなあと思って、ある人に話したかった事も結局話せなくて、ちゃんとしなきゃと思うのにぼんやりとして、せつない日だった。重要な内容の話でもないんだけど、チャンスをうかがっていたのに、チャンスがなかった。何だかせつないのは寒いからだ。・・・と寒さのせいにしてみる。ありがたいことに次の制作があって、もう取りかかっているから、切り替えの下手な自分を恥じたりせず、しっかり作品に向かおう。今日も実にまとまらない文章だ。それでもいいのだ。
深呼吸とは深い呼吸で、私は呼吸していることを意識しながら息を吸って吐く。ずっと休みのない日々を送ってきて、今日は久し振りに深呼吸をしたような一日。
友人が私の展覧会を観に来てくれるとのことで、一緒にama Galleryさんに行った。お昼に待ち合わせて、一緒にごはんを食べて、小さな旅をするようにガタゴト電車に乗ってバスに乗って。じっくり作品を観てもらって、店主さんとお話をして、それから玉造まで足を伸ばして友人の知り合いの展覧会を観にbeyerへ。beyerの二階が好きになった。みどりの絨毯がいいなあと思った。
今日は沢山の人とたくさんお話をして、沢山観て、その中にはとても大切なものごとや言葉が本当に沢山含まれていて、これらのことをひとつひとつ噛み締めて消化、整理するまでには少し時間がかかりそう。でも、このまとまらない気持ちをどこかに残しておきたくて文章にしている。
たくさん動いてもお話ししても自分の好きなフィールドに居たら疲れることはない。体は疲れても心が疲れない。そんな場所があるのは幸せなことだ。好きなフィールドとは作品をつくること、それをみてもらうこと、そして何かを表現している人達と関わりをもつこと。深呼吸をしない日々が続くと、こういう大切なことや、大切な人、感謝することをすぐに忘れてしまう、物忘れのはげしい私。
近い友人に展覧会を観てもらうのは嬉しいし、大切だなあと思った。
少し客観的に自分の個展を観られるようになった頃合いで行けたこともよかった。手前味噌だけど、この展示はいい、この作品はいい、と思えた。こういう作品を創れるのは私だからだ、と。
帰りに立ち寄ったケンタッキーの店員さんの雰囲気が殺伐としていて、なのにポテトもハンバーガーもすごく美味しくて、そのことが妙に可笑しくて2人で笑った。
帰りの電車では眠くてうとうとしつつもお気に入りのコートの第一ボタンが取れそうになっていることが気がかりで、家に帰ったら真っ先にボタンを付け直そうと思った。気に入って何年も着ているコート。もしこれがぼろぼろになってしまって買い替えなくちゃならなくなったら私は悲しい。ものには愛着が湧いてしまうから、うれしいけれどくるしい。ふたたび気に入るコートが見つかるかどうかも心配になる。でも、こういう一連の心の動きは私そのもので、感情が正常に流れていることにうれしくなる。ほぼ同時に幾重にも思考が重なっていく。
作業机の上には昨日と一昨日とで仕上げた作品たちが並んでいる。
さっき来た友人からのメールを読む。
自然とにこやかになる。
深呼吸の一日。
お土産に明太子を頂きました。好きです。明太子。
ごはんのお供にしたりパンにバターと一緒に塗ったりして日々ありがたく頂いている訳ですが、私って「朝ごはん的な食べもの」が好きなんだなあと気づきました。例えば炊きたてのごはん。温泉卵。目玉焼き。明太子。味付け海苔。胡瓜と白菜と大根のお漬け物。これらには付属品として美味しいお醤油が必須。あとはお味噌汁。好きな食べものは何?と聞かれていつも返事に困るのは、きっと地味過ぎてぱっとしないからだ。地味な子でごめんなさい。むしろ「地味過ぎて逆に目立つ」人を目指そうか・・・なんて。嘘。ほんとはどっちでもいいのです。
堺での個展は好評開催中です。そして11月中旬からは仙台のイベント、12月は大阪のイベントに参加しますよ。こちらのお知らせもしたい所ではありますが、明日はちょいっと、恒例の大切なお墓参りに行って来ます。